足りないかけらを探しに行く

自分のために書いている

そういう生き物

昔からすぐに行動に移せない。母親のお腹の中からこの世に出てくるのに12時間かかったらしい。だから申し訳ないけど本当に生まれつきそういう人間なのかもしれないと最近思い始めている。いやそんなことはない。ただの怠慢でしかない。
そもそも人間ですらない。育ててくれた人のせいじゃなく完全に自分のせいなんだけどきちんと育ってきたとはまるで言えない。だから社会の中で育って社会の中で生きていける「人間」ですらない。ただの生き物といった方が近い。
自分が悪いので自分で変えなければいけないのだと分かっているがしんどい。何もやる気がしない。消えてなくなってしまえば変えなければいけない自分も適応しなきゃいけない世界も消滅する。
でも人間は消滅なんかしないしこの何もできなかった自分という自意識を持った状態で死ぬまで生き続けなければならない  長期的に見れば行動した方がまだマシなんだろうとは分かっている。出来ることからやっていくしかない。
厭世的なことしか書けないな でもこれもより良い状態になろうとポジティブになろうとしているかもの現れなのかもしれない (?) 本当に全てが嫌になっている日は一日寝ていることもあるから 
文章を人に見えるように書くということは客観的に全てを記述することになり、客観的に記述してみれば自分に書くべきところなんか何ひとつないのが分かり、したがってこういう自己批判的な文しか書けなくなるのかもしれない
なんかどういう切り口で書き始めても書けば書くほどそこに到達するので今日はそういう日なんだろうな。そして気を抜くと句読点なくなってしまう。本当はもっと明るい人間なんです(本当にそうかな?) そういう日にそういう生き物が生きていたということだけ今日は覚えて帰ってください。